経産省レポートで描かれる産業と雇用の未来
Claude Code に代表されるAIエージェント(コーディングエージェント)の進歩は凄まじく、今後のIT産業を含めた産業界全体がどのように変化するのか、容易には予測できない状況にあります。
生成AIが社会に与える影響に関しては、営利目的ではない分析を行っている国の報告を読むのが良いでしょう。 経済産業省はAIが産業界と雇用にどのような影響を与え、産業が将来どのような変化を遂げるか予測してレポートを公開しています。 経済産業省の目的は国全体の経済成長にあるので、日本国民全員が受益者と言えます。
今回は、経産省のレポートに描かれる未来の産業界の姿を、レポートからの引用を中心にこの記事に描いてみたいと思います。
特にAIの進歩により、IT産業を中心とした産業界がどのように変わるのかを中心に抽出してみます。
参考レポート
まず、今回参照する経産省のレポートを紹介します。
2025年前半に公開されたレポートです。
2026年前半に公開されたレポートです。
「2040年の就業構造推計」に描かれる雇用の変化
大多数の人が気にするのは、AIにより雇用がどのように変化するのか、という部分だと思います。
「2040年の就業構造推計」では、2040年ごろの職種と学歴と専門性別の雇用需要を2022年と2040年を比較する形で、雇用の変化を予測しています。
分析の結論は、レポートの先頭に記述されています。以下に引用します。
2040年に十分な国内投資や産業構造転換が実現する場合(注)、人口減少により就業者数は約6700万人(2022年)から約6300万人となるが、AI・ロボット等の利活用やリスキリング等により労働需要が効率化され、全体で大きな不足は生じない。
一方で、職種・学歴・地域間では需給ミスマッチが生じるリスクがあり、事務職(約440万人)や文系人材(約80万人)が余剰、AI・ロボット等利活用人材(約340万人)を含む専門職や現場人材(約260万人)、理系人材(約120万人)が不足する可能性。
「人口減少により就業者数は約6700万人(2022年)から約6300万人となるが」と人手不足が加速する不安を想定した上で、「労働需要が効率化され、全体で大きな不足は生じない」と締めています。基本的に人手不足経済が続く前提で、人手不足による経済成長の障害の影響度を予測する内容です。 マクロで人手が余る不景気は、想定されていません。 但し、雇用のミスマッチは、それとは別の懸念事項として報告されています。 マクロとミクロは区別してレポートを読み取りましょう。
なお、この推計は冒頭にあるとおり「十分な国内投資や産業構造転換が実現する場合」という条件付きの数字です。前提が崩れれば、描かれる絵も変わります。
マクロの雇用変化
まず、マクロの雇用変化ですが、 「事務職(約440万人)や文系人材(約80万人)が余剰」と 「AI・ロボット等利活用人材(約340万人)を含む専門職や現場人材(約260万人)、理系人材(約120万人)が不足する」の「余剰と不足の対比」が報告されています。
この余剰と不足の説明は、内数が併記されていて非常にわかりにくい表現になっています。
特に「専門職」とその内数の「AI・ロボット等利活用人材」の関係が誤解を招きやすいです。
「専門職」の中に「AI・ロボット等利活用人材」が含まれており、「専門職」全体が181万人の不足になりますが、その中の「AI・ロボット等利活用人材」が339万人の不足になっているので、「AI・ロボット等利活用人材」を除いた「専門職」は、(-181) - (-339) = +158 となり、158万人の余剰ということになります。
つまり、専門職の中で不足するのは「AI・ロボット等利活用人材」だけであり、他の専門職は余剰になるということです。
現場人材の場合は、全体で260万人不足で、その内「生産工程従事者」が206万人の不足になると書かれています。こちらは分かりやすいです。「生産工程従事者」以外で不足する現場人材は 260 - 206 = 54 で、54万人の不足です。
全体を整理すると、
余剰の合計は、437万人。 不足の合計は、181万人 + 260万人 = 441万人。 差し引き、441万人 - 437万人 = 4万人の人手不足ということになります。
2040年の就業者数6300万人に対して4万人ですから、全体としてはほぼ均衡です。レポート冒頭の「全体で大きな不足は生じない」という結論とも一致します。
つまり「2040年になっても全体として人手が余ることはない」という報告であり、「AIによる自動化で人手が余る」というレポートでは無いことが理解できると思います。 このレポートは、「AIやロボットの活用により、現在の深刻な人手不足は、緩和される」という報告であり、「AIで失業者が増える」という報告ではありません。
ちなみに、人手不足の推計としてよく引用されるものに、パーソル総合研究所と中央大学による「労働市場の未来推計2035」があります。 こちらは2035年に1日あたり1,775万時間(働き手384万人分)の労働力が不足し、2023年と比べて1.85倍深刻になると推計しています。この1.85倍という比率から逆算すると、2023年時点では200万人分ほどの不足だったことになります。
こちらは「人手不足が深刻化する」という結論なので、経産省の「ほぼ均衡」とは方向が逆に見えます。ただし推計の前提も手法も異なるので、単純比較はできません。この差は、AI・ロボットの利活用や産業構造転換がどこまで進むと置くか、という前提の違いによるところが大きいと思われます。
いずれにせよ、どちらの推計からも「AIによって人手が余る」という結論は出てきません。 現時点(2026年)でもマクロでは深刻な人手不足ですから、経産省の推計は、どちらかと言えば私には「少子化で労働人口が減るわりには、今ほど人手不足は深刻にはならない」という趣旨の報告に見えます。
ミクロの雇用ミスマッチ
「2040年の就業構造推計」では、職種や専門性の違いによる雇用のミスマッチが深刻になることに警鐘を鳴らしています。
2040年の余剰人材
2026年時点で人手不足経済の現在でも、一般事務職だけは人手が余っており、例外的に新規の就職が難しい職種となっています。 2040年の予想でも、2022年との対比で事務職は437万人も人材余剰になることを予測しています。 これは現在のAIエージェントの進歩を見ると容易に理解できる予想です。 デスクワークを主体とした事務処理業務は現在でもかなりITやAIによる自動化に適した職種です。2040年を待たずに現時点で急速に生産性向上により雇用が縮減する職種であることは誰にでも理解できることでしょう。 また、学歴別で見る文系の大卒・院卒が76万人も余剰になるという予想も、事務職の縮減と関連する現象と容易に予想できます。
ただし、この437万人という数字の読み方には注意が必要です。 これは「2040年に事務職として働ける人の数」と「2040年に事務職として必要とされる人の数」との差を計算したものであり、437万人の失業者が出るという意味ではありません。
思い出してほしいのは、この推計が「就業者数は約6700万人(2022年)から約6300万人となる」という前提で計算されていることです。2040年までに労働人口そのものが400万人も減ります。余剰の437万人は、今の労働市場に上乗せされる失業者ではなく、400万人減った後の6300万人の中での配置の偏りを表した数字です。 そして同じ2040年に、専門職と現場人材で441万人が不足しています。余剰と不足がほぼ同じ規模である以上、事務職から溢れた人材が、そのまま職を失うという話にはなりません。
つまり、この余剰と不足の数字は「職種ごとの人の配置が今のままだったら」という仮定で計算した差分です。 だからこそレポートは、これを失業の予測ではなく「需給ミスマッチのリスク」として警告しています。職種間の移動がうまく進まなければ、一方で職を失う人が出て、他方で人手不足が解消しないという、社会全体にとって最も損な結果になるからです。
2040年の不足人材
土木建設や介護・医療・サービス業や工場などで手足を使った作業をする現場人材が、260万人不足すると言っています。 専門職は全体で181万人の不足ですが、その内訳は先述のとおり「AI・ロボット等利活用人材」の339万人不足と、それ以外の専門職の158万人余剰です。
この339万人という不足数は、情報処理技術者にとって特に重要な意味を持ちます。 この「AI・ロボット等利活用人材」は、2022年時点での就業者数は236万人とされていますが、現在の段階で「AI・ロボット等利活用」職種というものは、まだ多くありません。 2022年時点での「AI・ロボット等利活用人材」は、「機械技術者やその他の情報処理通信技術者等の職種を集計」とレポートの注意書きに書かれていることから、現在の情報処理技術者は「AI・ロボット等利活用人材」に含まれていることが分かります。 2040年時点での「AI・ロボット等利活用人材」は、推定で需要数782万人に対し供給数は443万人と予想しています。
学歴別の需給予測では、理系の大卒・院卒が124万人不足するだけでなく、工業高校卒が91万人不足、高専卒で15万人不足するという、「大卒だけではない広範囲な理系不足」状況を予想しています。
現在でも電気工事士のような人材が不足していて「エアコン設置工事が半年待ち」のような状況が発生しています。 AIとロボットが広く普及するようになれば、ロボットを現場に設置・運用する設備運用系技術者が必要になりますから、現在の電気工事士以上に設備運用系技術者が不足する未来が予想できます。 電脳住宅のようなロボット設備が普及すると、各家庭のメンテに設備運用系技術者が日常的に必要になります。
加えて工場や発電所など社会インフラ設備等のAI化・機械化が進むことを考えれば、工業高校卒が91万人不足というのも理解できます。
2040年、情報通信業のAI人材は余剰になる
「AI・ロボット等利活用人材」が339万人不足するとしていますが、 同レポートの「全国版就業構造推計(改訂版)・職種間ミスマッチ」のページを見ると、これと矛盾するような推計があります。
「主な産業の2040年の需給ミスマッチの内訳」に製造業・建設業・運輸業などの産業別の雇用予測が書かれており、この中に情報通信業があります。
産業別の「AI・ロボット等利活用人材」の需給数予測では、農林水産業で7万人不足、製造業で125万人不足、卸売小売業で77万人不足、建設業で26万人不足、宿泊業・飲食サービス業で21万人不足、運輸郵便業で26万人不足と、ほとんどの産業で不足しているにもかかわらず、情報通信業では102万人も余剰になると予想しています。
情報通信業以外の産業での「AI・ロボット等利活用人材」の不足数の合計は、282万人になりますから、282万人 - 102万人 = 180万人 となり、これら主な産業の合計では180万人の人材不足になります。
9ページの「(参考)将来の産業構造は、①製造業X(エックス)、②情報通信業・専門サービス業、③アドバンスト・エッセンシャルサービス業がカギ」を見ると、情報通信業は2040年には「新需要開拓で新たな付加価値を創出・他産業を上回る賃上げ」と予想していますから、産業が縮小するわけではなく、情報通信業は繁栄することが予想されています。
情報通信業自体は繁栄しても、情報通信業におけるこの職種の労働需要は、供給を大きく下回ることが予想されているのです。
また、この「2040年の就業構造推計」では、「情報処理技術者」という人材が登場せず「AI・ロボット等利活用人材」という枠組みで人材需要を予測しています。 なぜ、このような扱いになっているのかを考えるに「2040年時点では情報処理技術者はこのくくりの中に含めて扱われている」からと思われます。
現在のコーディングエージェントの進歩を見ると、これまでの情報処理技術者の仕事はAIエージェントに置き換わることが、容易に予想できます。 経産省も、2026年から2040年までの間に、現在の情報処理技術者は段階的に「AI・ロボット等利活用人材」にシフトしていく事を予想していることが、「2040年の就業構造推計」の内容から透けて見えます。
これは単純に「情報処理技術者が失業する」という結果には繋がりません。
全産業での「AI・ロボット等利活用人材」の需給は、339万人の不足で、上記「主な産業の2040年の需給ミスマッチの内訳」の中だけで見ても180万人の不足になるので、2040年までに、現在の情報通信業で就労している情報処理技術者がAI・ロボット技術を習得しながら他の産業へ移籍していくことを想定しているのだと思います。
これは、経産省が2018年のDXレポートの頃から啓発している「事業会社でのシステムの内製化」の推奨とも一致する話です。
実際、現在の日本産業界ではシステムの内製化が広がり始めています。
SIer業界から事業会社への情報処理技術者の大移動は、既に始まっている現実です。
全ての事業会社がAI・IT企業になる
9ページの「(参考)将来の産業構造は、①製造業X(エックス)、②情報通信業・専門サービス業、③アドバンスト・エッセンシャルサービス業がカギ」を見ると、ほとんどの産業が2040年時点で「AI・ロボット等利活用人材」を雇用し、実質的にIT企業化して付加価値と賃上げを実現する見通しを、経産省が立てていることが読み取れます。
現在のように、デジタル人材の7割がベンダ企業側に所属する体制は消えていくことを予想しています。(デジタル経済レポート 論点4b・P84)
おそらく、現在の情報処理技術者は、2040年までにはAIやロボットを活用して、今とは全然別の仕事をこなしていることでしょう。
人材需要が高いので失業することは無いと思いますが、今とは全然違う雇用に就いていることでしょう。
もう一つ、重要な点として「AI・ロボット等利活用人材」が339万人不足するということは、その利活用職は誰にでもできる仕事ではなく、「AI・ロボット等利活用人材」として働くために専門知識を持ち専門訓練を受けた人間でなければ務まらない職業だということです。
誰にでもできる仕事ならば339万人も不足しません。
デジタル経済レポートに描かれるIT産業の変化
次に、2025年に経産省から公開された「デジタル経済レポート」に描かれた将来像の部分を引用していきたいと思います。
このレポートは、日本におけるIT分野での対外的な競争力の遅れが、将来どのような悪影響を日本の全産業界に与え、それに対して国全体でどのような競争戦略を取るべきなのかを、論じたレポートです。
「将来の国家IT戦略」を立案するレポートなので、そのために「将来のIT産業がどのような姿になるか」を予測しています。
レポートの先頭に要点が書かれています。引用します。
ソフトウェア、そしてデータが、世界を飲み込んでいる。 世界は、存在する文字通りすべての取得可能なデータを起点に、企業や企業の提供するサービスの付加価値がソフトウェアによって規定される「聖域なきデジタル市場」時代に突入している。 サービスの付加価値を規定するソフトウェアが売れないとハードウェアが売れない。 そして、データがなければ価値あるソフトウェアが生み出せず、競争力が維持できない、 という「データに全てを飲み込まれる世界」が、聖域なきデジタル市場という現実の競争環境として着実に迫っている。
ハードウェアとソフトウェアの主従逆転
将来のIT産業の姿を表す上で要点となるのが、
「サービスの付加価値を規定するソフトウェアが売れないとハードウェアが売れない。」
「そして、データがなければ価値あるソフトウェアが生み出せず、競争力が維持できない」
の部分です。
この文の意味は「1.1 検討の背景と経緯」で解説されます。
2017 年以降の生成 AI の本格的な社会実装により到来した AI 革命により、今まで表形式に構造化されたデータしか扱えなかったソフトウェアは、ついに日常の文書や画像、映像、音声、図面等といった、非構造化データまでも大規模、かつ高速に飲み込むようになった。いま世界は、存在する文字通りすべての取得可能なデータを起点に、企業自体や企業が提供するサービスの付加価値がソフトウェアによって規定される「聖域なきデジタル市場時代」に突入している。 聖域なきデジタル市場において、ソフトウェアとデータはすべての産業・市場を飲み込んでいる。 そして、経済活動の付加価値源泉としてのハードウェアとソフトウェアの主従逆転が起きている。 ハードが売れないとソフトが売れない、というモノの付随物としての組み込みソフトウェアの時代から、ソフトが売れないとハードが売れない、というソフトウェア付随物としてのモノという時代に変容しているのである。
「2017年以降の生成AI」という記述に引っかかった方もいると思いますが、これは原文どおりです。レポートの脚注では、Transformer技術を生んだ「Attention is All You Need」論文の発表(2017年)を起点に、OpenAIのGPT初期モデル(2018年)、ChatGPT(2022年)が挙げられています。
聖域なきデジタル市場では、すべての企業は生存のためにソフトウェアカンパニーに、そしてデータカンパニーにならざるを得ない
デバイスの売り手も、インフラストラクチャの売り手もソフトウェア・データを起点に、モノではなくサービスを売っているということ。 デバイスは、デバイスを媒介したアプリケーションサービスを、またはデータの取得手段としてのサービスを売っている。 一見モノを売っているように見える IaaS も単に計算資源を提供するだけでなく、ユーザが使いやすく管理されたマネージド型の計算サービスとして売っているのである。
まず、IT企業ではない一般の事業会社の市場競争が、ソフトウェアによって勝敗を左右される状況にあることを説明しています。 従来の日本の産業の中心は製造業とされ、ハードウェアの生産能力と品質が日本製品の主な付加価値として機能してきましたが、これからはソフトウェアによって構築されたプラットフォームが付加価値の源泉になり、ソフトウェア・プラットフォームを握れない企業は、プラットフォーム企業の下請けに転落すると、警鐘を鳴らしています。
自動車会社は自社のSDV(Software Defined Vehicle)を開発できなければ、他社の車載OSを搭載しなければなりません。 SDVを提供している企業の下請的存在になり、市場での主導権を失います。 ちょうどパソコンとWindowsの関係がこれに似ています。 昔、独自規格パソコンを開発していた日本のパソコンメーカーはパソコン開発の主導権を自ら握っていましたが、Windowsの登場によりMicrosoftの決めた仕様に従わなければ自社のパソコンを販売できなくなりました。 自動車とSDVの関係もこれと同じです。
この前提で、現在の日本における「事業会社がSIerにソフトウェア開発を外注する」体制に対しては以下の様に批判的評価をしています。
SI 事業 低成長・低利益率事業であり、AI 革命と外資サービス進出による外圧でビジネスモデル転換が迫られる。本事業を主たる収益源とするベンダ企業は、ビジネスモデルをスマイルカーブ上流、下流に移行しなければ、国内ですら生存は難しい。
日本市場の特殊性であるベンダ・ユーザの二項対立という伝統的な枠組みは、ユーザ企業におけるデータ・ソフトウェア戦略を理解できない/したくない経営層、既存のオペレーションフローを変化させたくない現場層と、成長率・利益率が低かろうとSI事業で何とか食い繋ぎたいベンダの利害一致により、この数年間不健全ながらも現状維持されてきた。
しかし、国内市場が SI 事業という薄氷の上で成立していた状況は AI 革命を伴う聖域なきデジタル市場により淘汰され、2-3 聖域なきデジタル市場におけるデジタル赤字推定シナリオで示したとおり、ベンダサイドから市場の破壊が凄まじい速度で進んでいく。外的な環境変化による市場破壊は、内的に変化を実現できなかったベンダ・ユーザ双方に対して、免疫獲得の猶予を与えないまま、剝き出しのソフトウェア・データの市場原理の中に飲み込むことが想定される。
ちなみに「スマイルカーブ」とは、二次元座標のグラフでX軸の左からバリューチェーンの上流・中流・下流を順に配置し、Y軸に収益率を置いた二次元グラフです。収益率の高いものは上流と下流に集中し、中流は収益率が低くなるため、グラフが谷を描きます。これが「スマイルカーブ」です。 このレポートの図では、企画・開発・設計が上流、営業・マーケティング・カスタマーサクセスが下流、そしてSIや運用保守・ローカライゼーションが中流に置かれています。
SI事業については、肯定派も否定派もどちらも多数存在するでしょうから、無駄な諍いを避ける意味で、ここで切り上げます。
大事な話は、次からです。
ソフトウェアとデータの主従逆転
ここまで引用した話は、「ソフトウェアが産業競争力の鍵を握る」という話で、情報処理技術者には納得感のある話題だと思います。 しかし、情報処理技術者にとって重要なのは次の引用文です。
そして、データがなければ価値あるソフトウェアが生み出せず、競争力が維持できない、 という「データに全てを飲み込まれる世界」が、聖域なきデジタル市場という現実の競争環境として着実に迫っている。
これまでハードウェアが主役だった産業界で、ハードウェアとソフトウェアの主従逆転が起き、ソフトウェアが主役になる、 というのは情報処理技術者には受け入れ易い話ですが、では「データがなければ価値あるソフトウェアが生み出せない」というのはどういうことでしょうか。
これは正にAIの台頭によって起こっている現象で、「ハードウェアとソフトウェアの主従逆転」が起きているのと同時に「データとソフトウェアの主従逆転」も起きているということです。 従来は、データはソフトウェアの付属物でしかなく、価値を持つのはソフトウェアの方でした。 しかし、現代ではソフトウェアはAIエージェントにより安価に生産できる物になりつつあり、代わりにデータの方が重要な価値を持つようになりつつあります。
コーディングエージェントがどうして短期間に人間のプログラマーを凌駕するほどの性能を得たのかと考えれば、LLMが「膨大なOSSのソースコード」をデータとして学習できた事が原因だと言えます。 優れたAI活用ソフトウェアを開発するには、良質なデータを膨大にAIに学習させる必要があるのです。
AIエージェントの中で、なぜ真っ先にコーディングエージェントが実用化したのかと言えば、OSSのソースコードという良質の無料データが豊富にネット上に存在したからです。
もし、OSSのソースコードのような良質なデータが大量に確保できれば、他の職能分野でもコーディングエージェント並に高性能なAIエージェントが開発できるわけです。 現代、そして将来は、このAIエージェント開発用のデータ資源の取り合いとなることを、このレポートは示しています。
エンタープライズデータ 聖域なきデジタル市場において、データはまさにデジタル産業における原油であり、ソフトウェアの従属変数として存在していたデータが、AI 革命の到来によって、データがソフトウェアを従属するという逆転現象が起き始めている。 すべてのデータ利活用が競争優位性につながる聖域なきデジタル市場において、企業はインターネットで自由に取得できるデータの利活用だけではもはや差別化はできず、今まで企業内で死蔵されていたエンタープライズデータや、それに類するデータを利活用できるかが、ハードウェア中心の世界からソフトウェア中心の世界への移行における競争力の決定要因となるであろう。
AIエージェントとは、LLMと従来型アルゴリズムと独自データを組み合わせて構築されたソフトウェアで、LLM(AI)だけで作られているものではなく、従来型IT(アルゴリズムとデータ)もその構成要素に含まれています。
LLMそれ自体の開発は、OpenAI、Anthropic、Google などには対抗できません。対抗できるのは中国だけでしょう。そして中国は日本にとって安全保障上の脅威であり、安心して依存できる相手ではありません。 しかし、LLM自体を開発できなくても、AIエージェントの従来型アルゴリズムと独自データの部分は、日本企業にも開発できます。 つまり、LLMは作れなくても、AIエージェントは作れます。(LLMはエンジンのように部品として使用します)
LLMの学習に使用できる大量データを確保し、且つ自社内で囲い込むことができれば、そのデータを使用したAIエージェントの開発で優位性が確保できます。
独自データさえ他社に取られなければ、独自AIエージェントの開発を独占し優位性を長期間維持することができます。
ここで問題点として、現在の多くの事業会社のように、自社の業務システム開発をSIerに丸投げにしている状況では、自社の重要資産であるエンタープライズデータをSIerを通じて社外に流出させていることになります。 もし、SIerからFDE(Forward Deployed Engineer)などを通じて、社外の外資系プラットフォーマーなどにエンタープライズデータが流れていくと、自社の重要資産データを自ら競合他社へ譲渡しているようなものです。 これでは、敵に塩を送るどころか、原油を送っているようなものです。 データの主導権は自社が握らなければ、AIエージェント活用で優位性は維持できません。 データはソフトウェアを通じて管理するものなので、日本の事業会社はソフトウェアの主導権を取り戻すべきなのでしょう。 経産省がシステム内製化を強く推すのも、理解できます。
コーディングエージェントの影響
これまで、ソフトウェア開発は優秀な情報処理技術者を高給で多数確保することによって、競争力を確保する時代だったのが、AIエージェントの台頭により、ソフトウェア自体の開発単価は下がり、ソフトウェアそれ自体の価値は大幅に低下することになります。
しかし、同じくAIの影響によりソフトウェアの需要はさらに拡大することになります。 従来扱えなかったデータを扱えるようになり、従来できなかったことができるようになるからです。 例えば、音声や視覚情報など、RDBで扱えなかった非構造化データの数々が使用できるようになり、顔認証や音声視覚認識の仕事ができるようになります。 オフィスの中だけだったITシステムが屋外でも活躍するようにもなるでしょう。 既に重機の操作をAIやリモートで行うようになってきています。
ここに「価格が下がると需要が増える」という市場メカニズムの性質も働きます。
AIによる生産性向上で供給が増えるが、AIが原因で需要も増えることになります。 つまり、AIによりマクロな雇用が失われる心配は無いと思います。(ミクロは別の話です)
ソフトウェアは他社と同じ物をコーディングエージェントにより比較的簡単に開発できるようになったが故に、ソフトウェアだけで付加価値を確保することが難しくなり、付加価値の高いソフトウェアを開発するためには、大量のデータが必要になります。 その大量のデータを確保するには、何らかのソフトウェア・プラットフォームが必要になるわけです。
つまり、今後重要になってくるのは、ビジネス的にはデータ確保の為のプラットフォームビジネスであり、技術的にはデータエンジニアリングということになると思います。
そして、確保した膨大なデータを使用して付加価値の高いAIエージェントを開発して、ソフトウェアによりユーザーに自社の製品やサービスを販売して、労務費を掛けず電気代だけで収益を上げる。 これがAI時代の国際競争になるということです。
「労務費を掛けず」と言っても、AIに物理的身体は無く、ロボット開発も時間が掛かるでしょうから、人間にしかできない仕事は簡単には無くならないでしょう。人が不要になることは、少なくとも2040年までは考えなくて良いと思います。
総まとめ
以上、「2040年の就業構造推計」と「デジタル経済レポート」に描かれたITとAIを中心とした産業の将来像の部分だけを、レポートの引用を中心に記述してみました。
AIエージェント時代に予想される将来の変化を、以下にまとめてみます。
- 2040年時点の職種別ミスマッチを差し引きすると約4万人の不足にとどまり、全体としては大きな不足は生じないと予測されている。
- 2040年時点に2022年比で、事務職が437万人余剰になる一方、専門職181万人・現場人材260万人の合計441万人が不足する。(人材ミスマッチ)
- 専門職の中でも不足するのは「AI・ロボット等利活用人材」の339万人だけで、それ以外の専門職は158万人余剰になる。
- 情報通信業のAI人材は余剰になる。(主にAI生産性向上によるIT業界の雇用縮小と思われます)
- 事業会社の「AI・ロボット等利活用人材」の雇用は激増する。
- 生産性向上によりソフトウェアの価格が下がるが、需要は増える。
- 「情報処理技術者」の需要が「AI・ロボット等利活用人材」の需要へと段階的にシフトしていく。(旧スキルの需要は縮小し、新スキルの需要は拡大する)
- 事業会社がソフトウェア・データカンパニーに変化していく。(変化できなければ市場から退場する)
- ビジネスの主導権が、ハードウェアからソフトウェアへ移行する。
- エンタープライズデータの集積が重要な競争力になる。
- 重要な技術の重心がソフトウェアエンジニアリングからデータエンジニアリングへ移行する。
ここからは、私の個人的意見ですが、
「コーディングエージェントによりITエンジニアの仕事が無くなる」とネットではよく聞かれる言説ですが、変化の本質からはかけ離れた話にしか聞こえません。
コーディングエージェントにより従来型の開発の仕事は減ることになりますが、同時にAIを使用した仕事が増えているのも現実です。 また、アーキテクチャ設計も、まだしばらくコーディングエージェントには無理なので、人間の仕事でしょう。
また、経産省のレポートにあるように、ITエンジニアに要求されるスキルの重心がAIやデータスキルへ移行していくだけで、人材需要は2040年になっても、依然として大きいことが予想されています。(ロボティクスやフィジカルAIの需要は新規拡大しそうです)
仕事がなくなる心配は、見当違いな心配だと思います。
特に、SIer業界などで DBMS や RDB や NoSQL などを扱っているデータベースエンジニアなどは、AIエージェント時代に必要とされるデータエンジニアリングに一番近い位置に立っているわけですから、新しいデータベース(ベクトルデータベースなど)のスキルを追加していくことになるだけでしょう。他の適任者はいないわけですし。
今後は、多様な構造化・非構造化データをまとめて操作・管理する技術者が必要なので、データベースエンジニアの需要が減ることはないでしょう。(要求される技術範囲は倍増するかもしれませんが)
ネットワークエンジニアはセキュリティ分野で必要ですし、バックエンド系はAIエージェントの構築で需要が伸びると思います。
需要が減りそうなのはGUIアプリなどフロントエンド系ぐらいではないでしょうか。
基本的に開発はコーディングエージェントで自動化されるので、情報処理技術者の仕事は設計と検収を中心としたものに移行しそうではあります。
SIerが安泰とは思いませんが、SIerで働いている情報処理技術者は、他の会社(主に事業会社)の需要が増えると思います。
変な不安に囚われている人々は、SNSや雑な報道に振り回されて混乱しているだけなので、経産省のレポートを熟読して、将来に備えた方が良いと思います。
将来の「AI・ロボット等利活用人材」に一番近い位置にいるのは、まちがいなく現在の「情報処理技術者」です。
どうせマクロでは、これからも人手不足です。情報処理技術者は時代と共にスキルを更新していくだけです。
今回参照したレポートは、どちらも無料で公開されています。気になる方は、ぜひ原典を読んでみてください。